縁あって我が家に来た野良ショ・オサムは「行丸-ゆきまる-」と名前が変わり新しい家族となった。ここはそんな行丸のわりと暇な日常を書き綴った日記。2012年4月に虹の橋を渡ったゆきまる。そして今は飼い猫修行中の「ジュリー(仮名)」をお預かり中。そして2016年4月、ジュリー社長はめでたく関西支社へ栄転の運びと相成り候。
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しばらく入院していたおかあちゃんは、GW前に家へ戻ってゆきまるの祭壇に手をあわせる。
ごめん。やっと帰って来たよ。
おにいちゃんひとりが世話していたけどしっかりやってくれていたようだ。
祭壇の前には、ゆきまるがまだ横浜の工場で里親募集をかけていた頃から、そしてずっと気にかけていて下さったぐーやまさんからお花が届いていた。
そして、給餌のお世話をして下さっていた猫ママさんからも、何度も何度も、落ち込むおかあちゃんを励ますメールを送って下さった。
ゆきちゃん、君は、みんなにこんなに愛されて本当に幸せな子だね。
できればもっと長く元気で生きて欲しかったけど、おかあちゃんは考えるんだよ。
手術のできない状態で無理に延命してチューブに繋がれて苦しくて痛いままで身動きとれないのは、それは幸せとは言えないだろうと。
人間だってそれはきっと誰も望まないだろうし、お母ちゃんも望まない。
自然死は苦しい。
見守る者にとってもそれは拷問のような長い長い時間だ。
苦痛で転がりまわるゆきまるに何度も痛み止めを打ってもすぐ切れる。
ゆきまるが、おかあちゃんの靴を、前足の爪でしっかり掴んだときに、おかあちゃんの心は決まった。
「安楽死を」
この決断を表立って言わなくても非難する人もいるだろう。
その批判は甘んじて受けよう。その覚悟で決心した事だから。
過去、多くの猫の臨終を見送ってきても、決して慣れることなどないそれぞれの壮絶な最後の時間。
車に轢かれて悶死する飼い猫を見守った幼少の頃のトラウマ。
毒物らしいものを舐めて、苦しんで逝ってしまった子猫。
獣医に安楽死を勧められながらも、助かって欲しい一念で治療を続け、結局苦しめてしまっただけ、と気がついたその瞬間。
その中でただ一匹、13年間実家で生きた三毛猫。
いつのまにか向うから勝手にやってきて住み付いた変り種だったが、この猫こそ、私の生涯で一番大切なことを教えてくれた。
まともとは口が腐っても言えない家庭環境の中で、この猫の母性が唯一私を救ってくれたのだ。
その猫は、老衰で私の膝の上で静かに逝った。まさに「天寿」だろう。
ゆきまるにもそんな臨終であることを願っていたが、やはりこの時代は小動物の寿命を全うするには厳しすぎた。
放射性物質拡散による様々なペット用品の汚染。
魚ロンダリングによるペットフードの汚染、猫砂(ベントナイト)、水道水、空気まで。
かつての重金属汚染に加えて人間の食用に適さないものがペットフードとして、市場に野放しになっている現状。
おかげで動物病院は連日大繁盛だ。
もう少し落ち着いたらそれについてのデータを開示しようと思っている。
そして今思うのは、自然死で看取るのも安楽死でも、結局は残る後悔は同じだということ。
「あのときにああしていれば」、「これがきっと原因」と後に残る飼い主は悶々と考え苦しむならば、断末魔の苦しみを救ってやれただけ良かった、と私は思う。
それはやはり、轢死した飼い猫へのトラウマなのだろう。
49日過ぎるまでは祭壇もブログもこのままにしておき、時々更新するかも。
きれいなお花、ありがとう。
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